1971年(昭和46年)
山梨のとある(多分)普通に家の次男として誕生。
親父が結構悩んで、自分の名前の一文字をとって名前をつけたとの事。
3才頃
城(大阪?姫路?)に旅行に行ったさい、
「のどが渇いた!!」
と我侭を言い、両親が居なくなってもその場で遊んでいた。
~小学校
両親が共働きをしていた。
祖父と祖母と近所のおばちゃんに育てられた(と勝手に思っている)。
父は単身赴任で東京に行っていた。
ほぼ「写真の中の人」であった。
母は「お姉さん?」みたいに思っていた。
祖父は戦争で覚えたらしいタバコ(わかば)を部屋の屋根が白くなるくらい近所のおっさんと吸っていた。
子ども心にタバコは嫌いだった(←今私、吸ってます)
祖母は怒るときに蝋燭や線香を持ってくるというイメージしか残っていない。
近所に凄い面倒見のよい「おばちゃん」がいて、母みたいだった。
ようは、完全に「じいちゃんっ子」だったと思う。
じいちゃんは、自転車に乗っけてくれて近所の無人駅に良く連れて行ってくれた。
帰りに、駄菓子を買ってくれたりもした。
小さい本屋をやっていたので、「小学x年生」をくれたり、
夏休みとかには蓋の裏が懸賞になっている瓶の「コーラ」の「当たる」瓶をくれたりした。
(いまだにどうやって栓の裏の当たりが分かってたのか謎・・・)
悪い子供には容赦なく怒った 。
旅行が好きだけど、車酔い凄かった。
この頃のなりたかった職業は
「総理大臣」
兄より偉くなりたかったのが動機。
母:「総理大臣になっても、お兄ちゃんはお兄ちゃんよ・・・」
俺:(兄ちゃんより上になれないんだ・・・)
と思った(と思う)。
小1(7歳)の時に入院をする(約2ヶ月)
肝臓に菌が入り「不明熱」という病名
本当に不明かどうか今となっては、よく分からない。
・採血で3回連続針を刺される
・手首から採血
・ギプス固定で2週間ぶっ続け点滴
などで、この頃から採血等の医療行為は嫌いになる。
この時に病院にじいちゃんが来た記憶はない。
家で泣いていたそうだ。
嫌(痛)がる俺の顔を見たくなかったらしい。
夏休みには、だいたい電車で旅行に行った。
「ブルートレイン」や「新幹線」やとても楽しかった。
この時は父が綿密に乗り換え時間などを計画しているのを覚えている。
今でも車より電車に惹かれるのは、毎年の旅行があったからかもしれない。
中学校
この頃なりたかった職業は
「先生」
数学の先生がスゲー面白かったからだと思う。
努力しないでソコソコ勉強も出来てた。
何年の時か不明だが、学力テスト2位の楯まであった。
(微妙に2位って所が素敵)
全校集会で
「職員室で、先生だけがタバコを吸ってるのはオカシイ」
と発言したら、後で職員室で怒られた。
(今じゃ普通だけどね・・・)
バドミントン部に所属してたけど、なぜか陸上の練習もしていた。
中学1・2年でマラソン大会のようなもので1位になったからだと思う。
中3のとき、交通事故を起こした。
2回目の気がするが、1回目いつか思い出せない・・・
高校入試3日前に、盲腸になる。
医者:「3日もあれば大丈夫!!」
と、祖母の同級生の元軍医らしい先生に言われ手術。
保健室で受験して普通に合格。
3日前手術で
俺:(これで追い込みの勉強しないでOKだ)
と思ってたら、病室に教科書や参考書を(確か)兄が持ってきた。
周りにはいつも心配かけていたと思う。

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