4/29/2008

閑話休題 GW開始

体調崩しました。

治ったら。
Upします。

早く治そう…

4/28/2008

うつ病 ~退院後(08年4月中旬~)

4月吉日に無事退院したわけです。

やはり家のほうが環境が良い部分が多くある。
花粉は病院のほうが良かったけど。

父親が家に居ても良い。
と思われるのが嫌なんで、仕事の時間は引きこもることにした。

先生:「車の運転駄目」
先生:「自転車の運転も駄目」

とゆるーく言われたんで、言う事聞いて徒歩生活。
しかし。
地方に道路はあっても。

俺の体力がない・・・

バスは1日に5本くらい。
駅は遠い。

地方だなぁ(半笑)

4/27/2008

閑話休題 地獄の日曜日

右足が痛すぎます。

移動手段が徒歩のみの為。
歩きすぎ?

腿の裏にハリ
膝に鈍い痛み
足首に鈍い痛み

年かなぁ。

そんなんでも日曜日なんで。
息子&娘とサッカーしました。
家の掃除もしました。

ん。
普通でも疲れる休日だ。

4/26/2008

うつ病 ~病院について(3)

退院後に2回は病院に行かねばならない。
もう1回行ったんで、後1回。

昨日行ったときには。

2回ほどキレましたが。

1回目:スンゲー待たされた。時間返せ
2回目:書類が出来てるのに連絡してこなかった。

2回目は本当にお役所仕事。
収入なくて死にそうなのに。
こっちから聞かないと駄目らしい。

良く分かんないけど決まりらしい。
5月にもう1回病院に行かなくてはならないんだけど。

質問:すんげー気が重いのはなんで?
答え:きっとまたキレそうだから。

やっぱり凄い病院だ。

4/25/2008

うつ病 ~病院について(2)

良かった点(追記)
・物が安かった。
・タバコが吸えた。

悪かった点
・お役所仕事してる奴等が多い。
・そんな人間につっかかった俺。

ん、それだけだ。
俺も悪かったわけだ。

まぁ前振りはたくさんしてあるから。
「会社人間」にならないように俺は前を向いて生き治そうと思った。

明日も良い天気でありますように。

4/24/2008

うつ病 ~病院について(1)

1ヶ月と少し入院しました。
振り返ってみよう。

良かった点
・花粉症が治ったかと思う位普通だった。
・調子が良くなった。
・看護師さんが良い人ばかりだった。
・本が読めた。
・良識のある大人に出会えた。
・若い人と交流ができた。
・自分を見つめ直すことができた。
・綺麗な桜が見れた。
・自然の素晴らしさを見れた。
・たくさん写真撮れた。

あれ?
結構良い事あったじゃん。

悪い事より良い事を書いたほうが気分がよろしい。
よろしいんだけど。

良い事は3月で終了している気がしないでもない。
まぁblog書ける位になると普通なんだろう。

だから俺は3/25に産まれ変わったんだろう。
最近は書いていても吐きそうにならないし。

吐きそうになる事はまた後日。

見てくれているかどうか分からないけれど。
退院する時に担当の看護師さんがお休みだった。
言えなかった言葉を書いておきます。

「本当にありがとうございました。」
「嫌な患者ですみませんでした。」
「これからも俺みたいな患者を看てあげてください。」

見てくれてたら嬉しいな…

4/23/2008

うつ病 ~退院まで(08年4月上旬)

08年04月

もう「普通の人」のふりをするのにストレス溜まりまくってた。
応援してるサッカーチームも勝てないし。

ブチ切れる事3回(以上)
話の分かる方が2人いたのは不幸中の幸いでしたが。

毎日毎日「普通」のふりをする苦痛。
医者の「普通」ってどんなんだろ?
って毎日考えて、話するのを拒絶した。

聞きにもこないから楽といえば楽だったけど。
他の患者様には主治医と担当医の2TOP体制。

俺は4月から1TOPになっていた。
担当医(研修医)は結局退院まで誰か分からなかった。

外泊して家が俺にとっての普通なんで
俺:「退院します!!」
医者:「じゃ明日でいいですか?」
俺:「はい!!」

ということで人生で最大の苦痛の空間から脱出できた。
どんだけ苦痛かは後で記しますが。

退院の際、病院関係者の方々にURLを配ってみた。
何名の方々がココを見ているか分からないが。

心の病を看てあげたいと思っているならば。
いちゃもんと思うか意見と思うかは個人の判断。

だから一個人の精神が狂った人間の想いを受け止めて欲しい。
100人いれば100通りの「心」があるのだから。

4/22/2008

閑話休題 平成ジェネレーションの憂鬱

3日続けて。
それはともかく
はねぇだろ?

まぁ、いいか。

現在進行形の「平成」に生きている人は全て「平成ジェネレーション」と思う。

20世紀から21世紀になった。
昭和から平成になった。

かなり先の将来から見たら「変化」した時代なんだろう。
テクノロジーも進歩も含めて。
ムーアの法則に従っていると言ったらそれまでだけれども。

テラバイトは普通。
DSLや光ファイバーは普通。
DVDやブルーレイは普通。
無線接続は普通。
デジタル放送は普通。
携帯電話は普通。

わずか10年で変わってしまったもんだ。
今は小学生からパソコンを授業で習うそうだ。

そして平成産まれの若者が早ければ就職する時代。
パワーポイントは普通。
ダブルクリックは普通。
パソコンはあって当然。

そんな環境の若者が、旧態依然の昭和に馴染めるだろうか?
あと10年すればいわゆる「団塊の世代」の方々が「会社」から引退される。
引退前に、21世紀側に寄って来てくれるだろうか?

変わることを理解して実行できる人がいるだろうか?

「団塊の世代」
「団塊ジュニア」
「平成の世代」

が会社にはいて、圧倒的に「団塊ジュニア」は苦しいと感じる。
「権力のある昭和」と「革新的な平成」の狭間。

どっちに行くべきかは理解しようと努力しているけれども。
俺は息子と娘が生きていく時代に何かを残してあげたい。

平成に生きる団塊ジュニアは悩んでいるんだろうか?
ココには悩んでいる一人の男がいますが。
物凄く不公平感を感じながら組織に馴染もうとする。
「平成の世代」の若者の為に何かしていきたい。

最近はそんな事を考える事が多い。

4/21/2008

閑話休題 「会社人間」と「仕事人間」

本日、街中で昼食を食べた。

その時偶然出会った。

御一人は社長さんらしかった。
御一人はかなり若い方(20代?)だった。

携帯のアドレスで社長様が困っていたので
俺:「googleのgmailで統合できますよ」
とお節介をした。

その後、聞こえてしまったのだが、
若い方の客先への携帯電話での対応を社長様が注意していた。

物凄く羨ましかった。
食事後を狙って

俺:「名刺頂けませんか?」
社長様:「生憎、持ち合わせていないので…」
俺:「ココ(このblog)を観て下さい」

とURLを渡した。

その後、いろいろお話しをして
社長様:「「会社人間」と「仕事人間」ってどう違うと思う?」
と聞かれた。

俺はどう答えたかは忘れてしまった。
用はピンボケの回答をしたと思う。

そして教えてくれた。
簡単にはしょって書くと
社長様:「「会社人間」は官僚みたい隠して責任を回避するような仕事」
社長様:「「仕事人間」は世の中の為になるように想って行う仕事」
(多分あっていると想う。ちょっと違ったらまずい・・・)

そして年齢を聞いたら62歳との事。

俺は一緒に居た若い方に嫉妬した。
世の中には物凄く「若くて活発な」団塊の世代がいるんだなぁと。

そういう人と一緒に仕事ができる「平成ジェネレーション」は羨ましい。
年をとるとどうしても「会社人間」に陥りやすい。

俺も「会社人間」にならないように頑張ろう。

そして、あの御二方が世の中の為の「仕事人間」で頑張ってくれてる事を願う。
必然で会えるように、俺も人間力を磨こうと思った。

初夏の気候の中でまた素晴らしい方に出会えた幸運。
まだまだ俺なんて若造なんだから。
これからの息子や娘達のために「何か」残せるように。

人としてまだまだ学んでいかなければと教えていただいた。

4/20/2008

閑話休題 日曜日

意外と日曜日はPCに触れません。

子供サービスの日だから。
今日は、ちょっと疲れて5時に眠くなった。

なったけれど贔屓のサッカーチームが勝ったんで眠くなくなった。
犬の散歩していたら、街中の空中から
「ジーーーーーーーーーーーーーーー」
って音がしたんで、電力会社に電話。

担当の人が現場に来てくれたんだけれど。
すげー良い対応。

現場の人は頑張ってるんだよなぁ。
俺も現場の気持ち忘れないようにしよっと。

4/19/2008

うつ病 ~入院切れ期(08年3月下旬~08年4月上旬)

3月28日
このblogを開始。

本を5冊位読んでいた。
その中の3冊が心に響いたので、真剣にblogをやり始めた。

自分の歴史を他人に伝える手段のために。

将来、子供に
俺:「お父さんはこうだったんだよ」
と残すために。

少しの時間で自分の事を分かってもらおうとするための手段として。
名刺代わりになるように書き始めた。

読み易さをもっと考えなければいけないけれども。
インターネットの凄さをやっと理解できた(つもり)。

もったいない数十年だったなぁと思いますが。

入院していた所は非常にオープンな場所だった。
まったく無料でインターネットも出来たんでラッキーだった。
それ以外はまぁ、なんですがね。

この頃、自分は「うつ病」ではなくて「躁うつ病」じゃね?
と勝手に自己診断していた。

でも、人生ずっとハイテンションだった俺は「普通」がなにか分からなかった。
分からなかったから振り返ってblog書いたみたら。

すげーハイテンションだ…
俺の普通は他人から見て普通なんだろか?

そう思って俺なりの「普通な人」になりきってみた。
月末に研修医の女医さんがいなくなるんで聞いてみた。

俺:「入院時の診断は何すか?」
女医:「うつ病でしたよ」

しかしその頃(今も)飲んでいる薬を調べると。
躁うつ病に効く薬
と書いてあった。

病状も
女医:「血中濃度は大丈夫です」
との事。
主治医や教授様もたまに来るが数分。
俺は何処の常態か知りたかった。

毎日毎日看護師が聞く。
看護師:「今日はどうですか?普通ですか?」
俺:「普通です」
1週間くらいで答えるのが面倒くさくなって、ストレス溜まってきた。

俺の普通。
他人の普通。
医者の普通。
看護師の普通。

普通ってなに?

4/18/2008

うつ病 ~入院中期(08年3月下旬)

3月24日に事件は起こったと思う。


・凄い気持ちが楽になった
→そうかぁ、今はストレスが(笑)ヽ(´▽`)/

・飯が(以外と)美味い
→美味いね

・喫煙所が遠い(οдО;)
→ルールだからねヽ(´▽`)/

・担当看護師さんがマジ綺麗
→いや、可愛いだろ?どっちかっうと(笑)

・先生が信頼できる
→ただの『医者』だった

・スタバが病院の敷地内にある
→金ないっす(笑)

まぁ、『普通』にしようと頑張ってみます。
私の『普通』は『異常』と言う事が本日、やっと分かりましたm(__)m

圧倒的に退屈な日常を送るようにします。ヽ(´▽`)/
なかなか『普通』を理解するのが難儀ですが・・・

誰か『普通』が分かる人。
いません?(苦笑)

3月25日に上記のように記録を残している。
外泊時の様子を医者と看護師が知りたかったらしく。

多分3月24日に嫁と面談。
医者と研修医と看護師がお相手をしてくれたそうだ。
その時に

医者:「本人が帰りたいといっても家族が駄目と言ったら帰れません。」
医者:「極端な話、閉鎖病棟に行かせます。」
医者:「本とか溢れる位ありますね。」

と言ったらしい。

ブチ切れて、離婚危機に陥りましたが何か?
まぁ、面談のときに子供二人と30分おきに病棟に帰ってきたんですが。

病院関係者:「30分おきに帰るのがルールだから」
病院関係者:「子供さん、可愛いですねぇ」

いや、1時間も面談されて疲れてる精神病の俺は?
なにもしてくれないの。
ちゃんと聞かないと駄目な所だったらしい。

その後
大量の本・雑誌を家に返送。
大量の文房具を家に返送。
大量のアイディアを家に返送&封印

精神病患者は普通は3食昼寝付きで考えることも駄目らしい。
じーーーーっとベッドの上にいるのが「普通」らしい。

「普通って、なに?」
ってずっと考えてストレスが溜まる毎日だった。

治ってきたなぁ、俺。
って思うけど。この頃から。

4/17/2008

うつ病 ~入院中期(08年3月中旬)

3月20日までは意外と楽しそうだった俺。

・脳波検査
・MRI
・うつ病チェック質問

などを行ってた。
脳波とMRIの検査は初体験。

脳波は、何か白いのを頭に塗られて。
ピカピカしたり過呼吸状態にもって行かされたり。
正直苦しすぎる。

MRIは、ワクワクした。
写真見れてないけど…
自分の脳の断面写真見たかったなぁ。
後日詳しく報告しますが、多分数千円払えば見れますが。

研修医の先生に恒例のうつ病チェックをされたんですが。
女医に
「性欲はどおですか?」
って聞かれるのは、羞恥プレイだと思う。

研修医と看護師のお陰でこの頃は楽しかったんだと思う。
2回ほど外出した時のイライラ&堕ちっぷりは凄まじかったですが。

仕事のこと考えるのが嫌だったんで雑誌を読み漁り新しい仕事考えてた。
想像で1億円位かかる仕事を考えて楽しんでた。
宝くじ買って「当たったらアレしようコレしよう」見たいな感じ。

今でも成功すると半分くらいは本気ですが。

第1回外出時に本を20冊注文した。
第2回外出時に本を持ち込み、スマートフォンを購入した。

この事がどうやら「異常」な人間と思われた。

記述してないが小学校の頃は凄い本を読んでいた。
漫画本も凄く読んでいた。

この後、医者嫌いの本領が発揮される出来事が起こる。

4/16/2008

うつ病 ~入院初期(08年3月)

08年03月

実家の約10年放置していた自分の部屋を片付ける。
お宝がすげぇ勢いで発掘される。

その中に俺の父の父、まぁ父方の祖父が当時の天皇に表彰された記事があった。
当時は
「何か分からんけど、凄いんだ」
と思っていたが、何で表彰されるか知らなかった。

記録に残っている事は凄いと改めて思った。
いらないお宝を売って、数年ぶりにデジカメを買った。

通っていた先生の計らいで3/4に3ヶ所目の病院に通院。
診断の結果。
即日入院決定。

自分から入院しないと駄目だと思っていたのでまぁ良かったんだろう。
その時期の記録でも、

 凄い気持ちが楽になった
 飯が(以外と)美味い
 喫煙所が遠い(οдО;)
 担当看護師さんがマジ綺麗
 先生が信頼できる
 スタバが病院の敷地内にある

と綴っている。
その時はマジにそう思ったんだろう。

入院初日に数人にこれまでの経緯を話すのは苦痛でしたが。
3日目位は楽しんでいる俺がいる。

7日目に自分で髪の毛を坊主にした。
3回/週の風呂という現実には、坊主が一番良いと考えた。

やる事がないんで、雑誌を大量に購入。
日陰の部屋が嫌だった。
話をしたら部屋を変えてくれた。

この頃までが入院して
良かったなぁ
と思った時期だったと思う。

4/15/2008

閑話休題

本日はバタバタしていました。

明日からは、かなり恐ろしい内容になる予定です。
個人的主観がかなり入ります。

見て頂いている方々がいらっしゃるならば。
凄く御意見・御感想を伺いたい内容です。

ちなみに「TV」と「インターネット」は生活実需品と思います。
(このblogを見ている人ならば)

とある本の受け売りなんですが
「TV的」と「インターネット的」の違いが分かるでしょうか?

数人の方に質問したのですが、たった一人の方はズバリ分かってくれました。
とても話がし易かったのですが。

違いを分かろうとしない人には話が平行線になりました。
違いを分かろうとする人とは議論が出来ました。

人と話をする時に年齢も性別も経験も立場も関係ないと思います。
分かろうとしない人は総じて立場があるか年齢が上の人ですが。

奇人変人の戯言と思いながら、ゆるーーーーく御購読してもらえば幸いです。

4/14/2008

うつ病 ~発症中期(08年2月)

08年02月

実家に行くことにした。
子供のストレスが増加したから。

一番病状が不安定だった時期。
図書館に行って、うつ病関連の本読んだりした。
うつ病の本買って日記つけてたりした。

雪降ったりして、天気も悪かったようだ。
かなぁり気分の波が激しかった。

約5ヶ月通院しても何ともならんので
 
俺:「入院したいんですが」
医者:「じゃぁ紹介状書くから、ココの病院行って」
俺:「はい」

その病院行ったら、予約で1ヶ月先との事。
1ヶ月も待てないんで図書館で偶然読んだ「良い病院」に電話。

1件目:「予約が1ヶ月先になります」
2件目:「すぐの予約は無理だけど、3日後に来て下さい」

と言うことで2件目の病院に転院決定。
電話に先生が出てくれて親身に話し聞いてくれた。
 
先生:「初診は家族の方が一緒に来て下さい」
と言われたので、嫁と一緒に通院。

つか。
 
今までの「治療」は「投薬」のみだと分かった。
これまでの経緯を聞いてもらい、即効で薬変更。

1回/週の通院に。

薬が変わった影響か、この頃の気分変調は半端なかった。
毎日泣いたり午前中は抜け殻のようになったり。
 
先生:「4週間位は薬の変更の影響が出る」
と言われた。

が。

通院時に酩酊。
通院時に号泣。
 
両親が酷く俺の事を心配していた。
親父の仕事の話とか聞いた。

親父は単身赴任であんまり仕事の話とか聞いたことなかった。
いろいろ話を聞けたのは良かったと思う。
 
1日、いつもの年より長いこの月は。
今振り返ると最悪な精神状態の1ヶ月だったと思う。 

4/12/2008

うつ病 ~発症中期(08年1月)

08年01月
年男から脱出しましたが、病からは脱出できません。

・あんまり無理しない 
・薬 増やそっか
・仕事は産業医と相談だけど、自信ないなら変えてね
・(金銭的な)補助とかはないよ
・うつ病でなくてうつ状態だから 
 
というような感じ。(だったらしい)

薬の量が増えましたが。
月5000円も薬代払うのか・・・
 
といった感じで、金銭的に「追い込まれて」いました。

会社にチョコチョコ行って、翌日に堕ちるを繰り返してました。
ロキソニンを常備薬のように飲んでいた時期。

頭痛が惨い時期だった(っぽい。記憶にないんだが記録に残ってる)
 
月末には「消えたい」衝動にかられている。
俺:(自宅の2階から飛び降りてもどうにもならんな・・・)
とか考えていた。
 
リストカットとかアームカットとか自傷行為はしたくないのだが。
俺:(消えたい)
という思いが異常に強かった。

「死にたい」ではなくて「消えたい」。
細胞の全部が消滅できる方法があったら、この時期なら実行していたかもしれない。

まぁ、そんな感じで恐怖の08年がスタートしました。

4/11/2008

うつ病 ~発症中期(07年12月)

07年12月
今考えると無謀なんだが

俺:「旅行行ってもOKですか?」
医:「車運転とかは駄目だけど疲れない程度ならいいよ」

マイルの有効期限が切れそうだったんで。
当初は
 
屋久島

行こうと思いました。
縄文杉っつうのを見たいなぁと思いまして。
 
往復で10時間歩く


・・
・・・

断念しました。
桜島にしました。

「桜島小みかん」ギザウマス。
4kg持って帰ってきたら嫁にドン引きされた。

会社の工場長や顧問といろいろ話した。
偉い人達の過去にも、いろいろある事を知った。

普通に「紅白歌合戦」を見て、
年越しに地上にイナイというアホな事して。

07年は「病」のまま年を越しました。

4/10/2008

うつ病 ~発症中期(07年11月)

07年11月

会社に行かなくなった。
有給休暇がかなり残っていたので

俺:(有給が無くなる頃までには治るかなぁ)

位の感じだったと思う。
 
近所の病院には1回/月のペースで通院
 注:今考えると、1回/月はありえないと思う。

自宅に1日いるのは、結構違和感があった。
まぁ、「普通」に働いていれば自宅に長期居ることはないし。

鉄道が好きなので、親子でローカル線に乗りに行ったりした。
 
医者:「疲れない程度に」

と言うのを、俺は「変な解釈」していたと思う。
 
自分で車を運転して買い物とかに行ったりした。
気になっていた仕事もあったから1回/週位で会社にも行ってたりした。
(極、短時間)

会社行った後とか、ちょっと活動的な後とかは。

堕ちていた

と思う。
 
下旬位から「周り(近所)の目」を気にしだしたと思う。
嫁は、俺にとったら出来た嫁なんで、
嫁:「なんとかなるさぁ」
と言ってくれていた。
 

4/09/2008

うつ病 ~発症中期(1)

07年10月~
 
8月から実質開始した
会社の能力をかなりオーバーするプロジェクト
があった。

9月で終了するはずが

社長:「達成するまでずっとやれ!」

の一言で継続。
 
こっち側では9月で終わる予定であった。
しかし継続。

偉い人:造れ
売る人:造らないから売れない

作らせる人:在庫が多くなるから造りたくない
作る人:作れって言われないと造らない

と言う始末。
上記状況を、何とか物を作って貰うように調整していた。
 
本当は
「欲しい時に欲しい分だけ造る」
を求めて仕事をしていたはずなのに。

現場の人達が頑張ってくれるのが凄い嬉しかった。

10月にはなんとか達成した。
 
11月に入って出張中、電車のホームで。
 
俺:(コノママ トビコンダラ キエレルノカナ・・・・)

飛び込む度胸というか狂気というかは持ち合わせていないんだけど。
やっぱりそういう考えが出てくること自体が

「オカシイ」

訳で。

再度心療内科へ行きました。

医師:「診断書書くから、休むように」
俺 :「・・・・はい」

ココから人生の

「留年生活」

が始まりました。
いつ終わるのか、自分でも分からない生活が。

4/08/2008

うつ病 ~発症初期

07年10月~
 
会社に行くのがかなり億劫だった。
以前も
俺:(行きたくないなぁ)
という時はあったが
 
嫁:「休めば?」

と言われると、
俺(ヤバイ!)
と思い会社には行っていた。

が、10月は数回会社に
「行けなかった」

インターネットで「うつ病」判定できるサイトがあった。

やってみた。

結果:「うつ病です。病院に行きましょう。」

だった。
ちなみに、嫁と嫁の姉も同じ診断した。

結果:「普通です。」

大きい病院の精神科は予約で一杯。
(1ヶ月以上先と電話で言われた)

しょうがないので、近所の心療内科に行った。
ココでも判定テストみたいのをやった結果。

医師:「うつ病。即 会社を休んだほうがいい。」  
俺 :「・・・すぐは仕事があるんで休むのは無理なんですけど。」
医師:「じゃぁ、薬だすから無理しないように。」

という事で、やはり「うつ病」という事に。
医師:「頭の中の物質のアレがこうなって、ああなっているからこうだ。」
みたいな話された。
 
ネットで見る事のできる。
「ごく一般的なうつの話」
をされた。

3ヶ月~6ヶ月で治るとも言われた気がする。

この頃の記録が今は手元に無いので、違うかもしれないんだけど

パキシルを20か30mg/日とソラナックス(1粒 量忘れた)

を飲んでいた。
飲みながら仕事をしていた。

4/07/2008

自己分析 ~ 社会人 病気発症まで

社会人(~最近まで)
 
06年にとある講習会に参加。
この頃、自分の仕事が工場の統合などで
 
俺:(仕事なくなるんじゃね?)

と思っていた頃。
 
 
転勤する事は異常に嫌であった。
自分の父が単身赴任だった。

「子供と離れるのは嫌だ」

という思いは、今でも強い。

まぁ、講習会の内容に「衝撃」を受けた。
受けたんで、当時の社長に直談判して新しい部署を作ってもらった。
 
2人だけの小さな部署だけど、専任で出来るのは嬉しかった。
前の仕事も引き継ぐ人間がいなかったから、兼任みたいなものだけど。

その後に第2弾の講習に参加。
社内にも過去に参加した人がいたのだが

全員:「寝れないから、死ぬほど辛い」

って教えてくれたんで、申し込み後に非常にブルーになった。
1週間の合宿みたいな講習会だったのだが

「強烈に濃縮された1週間」
 楽しい>>>>>>>>>>>>>>>>辛い
 
だった。
多分、目的意識の違いだと思う。

というか、過去に講習を受けた人達が誰一人としてその内容を。
「仕事」に活かそうとしていない(気がする)。

そんな偉そうな事言っていますが。
その後、自分の仕事にうまく応用できず。

07年に同僚が他部門に移動。
成果が出てなかったから、しょうがなかった。

この頃から1人で必死になって。
現場と間接の間で理想を追いかけていた気がする。
 
「ギーグ」と「スーツ」の間。
「青島俊作」と「室井慎次」の間。
 
基本的には現場よりだった。
(間接ですけどね・・・所属は)

会社が「格好ばかりの大企業」化が進行してた(と思う)。
07年の6月頃に社長が交代する。
 
07年07月~
会社の能力をかなりオーバーするプロジェクト開始。
「こっち(工場)」と「あっち(新社長)」
との思惑がずれる。
 
工場でも
「こっち(現場)」と「あっち(間接)」
との思惑がずれる。

基本的に常に「こっち」にいた俺は。
凄く、心のストレスが溜まっていた頃。

そして。

 
07年10月11日 午後4時頃

 

見えない「弾丸(言葉)」で。



額を打ち抜かれ。



「うつ病」
 


になってしまいました。 

4/05/2008

自己分析 ~ 社会人中期(3)

社会人(多分中堅くらいの続き)
99年か00年位からHPを作成していた。
とある事でムカついて
「蛍の光」
をMP3で流して閉鎖しましたが。
 
03年10月 息子(第1子)誕生
ちなみにパチスロで約40万勝って出産費用に当てた。

04年06月~「blog」を開始している。
02年頃からblogはあったらしい。
今ではどのキャリアからも投稿は「普通」であるが
この頃はなかなか携帯から投稿できるblogがなかった(しらなかった)。

で、始めてみたものの05年にやめている。
「ブログ」が流行し始めたかなんかしらないが
「急に重くなった」
ためで、mixiに逃亡している(苦笑)

blogを見てみると

「すげー息子がかわいい」
「すげー仕事はりきってる」
「すげーパチスロやってる」
「すげースノーボード好き」
「すげーF1を見ていた」
「すげーTB好き」

ちなみにこの頃から「坊主」にしてました。 
 
05年にまた社名変更。
親会社の一部門と合併したから大変になった。
05年02~6月に合併した工場に応援に行った。
 
「娘の出産予定日が5月」
という事を知っていたのに、偉い人の命令で行かされた。

05年05月 娘(第2子)誕生
 
05年10月~ mixi 開始。
この頃は会社の大惨事中(入社以来3回目の危機)。
結構九州に行っていた。

訳の分からん「部長補佐」に喰ってかかった。

とんこつラーメンを滅茶苦茶食べた。
1日の食事が全部ラーメンな日があった。
子供の服をダンボール1箱買って家に送ったら、嫁がびっくりした。

「ティファニー」のバングルを買って帰ったら

嫁:「シルバーよりプラチナが欲しい」

といわれた気がする。
桁が2つ位違うから無理なんだけど…

05年頃は、まだまだ仕事にプライベートにがんばっていた。
連続出勤が恐ろしい数字だったりするけれども。

4/04/2008

自己分析 ~ 社会人中期(2)

社会人(多分中堅くらい)
99年に結婚しまして。
新婚旅行とか行っている間に、大先輩が退職。

記憶が曖昧で記録も今は見れないので
その後かその前に会社の名前が変わった。

まぁ、親会社の都合と思われるが
別の子会社と合併して名前が変更になった。
手続きが異常なくらい面倒臭かった事は覚えている。
 
結婚後(確か00か01年)に、大クレームの原因となる仕事のミスをする。
その時にはK部長が帰ってきていたのだが
前任の部長が全く知識0だったのも一因かもしれない。
と、k部長がフォローしてくれた。

とは言っても「会社が倒産する」かもしれないような一大事。
この時はリアルに「死にそう」になった。
「死にたい」ではなくて「死にそう」である。

まぁなんとかなったので今も会社は存続している。
入社時にも、同様な「会社が倒産する」かもしれないクレームを起こした先輩は
 
先輩:「俺も経験したから頑張れ」

って言ってくれたのが一番心に残っている気がする。
 
この頃まで新規開発みたいな事をやっていた。
ぶっちゃけ「無茶」な仕事だと思う。
 
専門的な知識があった訳でなく。
専門的な機器があった訳でなく。
専門的な先輩がいた訳ではなく。

休日に自分で機械を動かして試作品を作ったりしていた。

4/03/2008

自己分析 ~ 社会人中期(1)

社会人
入社した時は「開発課」って所で仕事をしていた。
入社直後からリニューアルがあって工場がドタバタしていた。

最初は「ゴム」を弄っていたんだが
大きなポカを起こして「ビニル」を弄ることになった。

まぁ、小さな会社だったからK課長の下で楽しく(?)仕事してた。
ちなみに、入社時に「オアシス」で書類作れと言われて泣きそうになった。
(一太郎&ロータス123な人でした) 

数年(何年が忘れた)後、K部長となり違う工場に転勤をしてしまう。
技術と統合されて、「技術開発課」という所に所属。

部長は親会社から出向してきた人。
課長は「技術」の事が超くわしいH課長。

後輩も何人か入社してきていた。
ちなみに、面接に来た後輩に

俺:「この会社は来るもんじゃないぞ」

と、真顔で言っていたのは内緒。(誰に?)
 
ISO9001を取るのに死にそうに書類作った。
現場で何かあると飛び回った。
 
何かあると、
偉い人:「集合!!!!!!!!!!!」
って皆で集まって喧々諤々、ドタバタしていた。

田舎の中小企業だったのは、入社して5~6年で終了してしまうのだが。

4/02/2008

自己分析 ~ 社会人初期

入社~
無事に94年に就職できた。
3月の最終週まで、年賀状しか来なかったので

俺:(入社できねぇんじゃね??)

と思っていた。(いや本当に)

バブル崩壊後だったんで、よく新人採用したなぁと思う。
まぁ、周りには40歳以上の人ばかりだった。
バブル時代には採用が出来なかった地方の企業という事であろう。

80年代の小学校の机みたいな事務所で1年仕事をした。、
(暖房はあったが冷房はなかった…)
2年目にリニューアルという事で新しい事務所に引越した。

入社1年目の会議の席上、当時の社長から別の人曰く
同僚:「お前、気にするなよ。社長も酷いな・・・」
という社長の発言があったらしい。
 
当の本人は
俺:(ん、頑張れと言われた。頑張ろう!)
と思っていたのだが。

また、上司のK課長には入社1年目に
k課長:「1年生じゃねんだから!!!!」
と言われ、この時ばかりは心の中で
 
俺:(いや、まだ入社して1年たってないから)
 
と漫才のようなノリ突っ込みした。

まぁ、数年は
「地方の中小企業」
の中でゆるーーーーく仕事をしていた(と思う)。
 
因みに、入社前に
偉い人:「あと数年で東証2部に上場を計画している」
と言われたが、未だに上場の「じ」の字も出ていない。

4/01/2008

閑話休題 「メッツ!」

駄洒落じゃないです。

本当に「メッツ」って単位あるんです。(下記参照)
メッツ

まぁ、4月からいろいろ法律等が変わるという事で。

1.自動車関連の「暫定」税率が(一時的に)なくなる
2.40歳以上の人は「メタボ検診」を受ける
3.医療報酬がいろいろ変わる

以上の事が個人的に気になるところ。


1.についてはもぅほら。
いたる所で報道してるんですが、ちょっと疑問。

総理大臣:「ガソリンの値段が下がったら、たくさんガソリン使ってCO2が増える」

旨の発言をTVでちら見したんですが・・・・

いや、その税金でCO2出す車の走る道路整備してない??

自動車メーカーのTopの意見聞いてみたいです。
(時間無くて、調べれないです・・・)

あと地方が、地方が、って言ってますが。
親からお小遣いもらえない子供がダダをこねている
と感じるのは異常でしょうか?

東国原知事(そのまんま東さん)は
ココ
で「大変」とやっぱり言っているんだけど。

もぉ、かなり前から「なくなりそう」ってのは分かっていて。
「無い」を前提に「お金をどう使うか」を考えれないのだろうか??

政治家は大変な職業とは思います。
「地方が大変」より「個人(国民)が大変」という事を考えてくれればね。


2.については、なんか企業に「罰金」があるとかないとか。
胸囲だけで「病気」って診断は、まさに驚異ですが。

詳しく(時間が無いんで)読めないのですが
ココ
あたりに載っている模様。

36歳なんであと4年後に「中年太り」しないように。
頑張れ!!俺!!

てか、これでいっぱい「医者」が儲けるんだろうか?
誰か教えて(笑)


3.については。
コレ
(案)しか見つからなかった・・・・

まぁ、178頁もあるんで普通読まないなぁ これ。
22頁が、只今入院中の身には一番興味がある部分でして。
まぁ、「ボッタクリ」は無いとは思いますが。

3/31に窓口に聞きに行ったら
「担当に聞かないと分からないので」
って言われましたが。

いや、次の日からやる(べき)事を担当しか知らないって。
「お役所仕事か!?」
とノリツッコミしたくなりました。

今日は、大々的に「嘘」を言ってもOKな日ですね(笑)

朝の外出ノートみたいなのがあるんですが、行き先に
「米国」
と書いてみましたが、何も言われなくて残念でした。

やっぱり
「小浜」とか「チベット」とか「宮崎」
とかが良かったかな?


という事で、「米国」帰りで時差ぼけです。