3/31/2008

自己分析 ~ 大学卒業まで

追記

中学の頃までは「糸の切れた凧」によくなっていた。
漫画大好きで本屋で延々と立ち読みしていた。
パソコンが凄く好きで、パソコンショップによく行っていた。
困り果てた親が「PC-8001」(だと思う)を買ってくれた。
1980年頃に家にPCがあったがなぜかプログラミングとかはしてなかった。


高校時代
化学部に入って、かるめ焼きや綿菓子を作っていた。
顧問の先生がとても面白かった。

職員室からの電話を
先生:「はい、捜査本部です!」
と言い放つような先生だった。

経済系に少々興味を持ったが
「数学と化学しか勉強に興味がもてなかった」
ため、理数系に進む。

しかし、物理は全く理解不能に陥ったため
物理の時間に化学の勉強をしていた。

何とか推薦で地元の国立大学に進学する。
未だに合格したのが謎なんだが、兄曰く

兄:「変わりモンだから合格したんだ」

と言われた。
まぁ、面接のときに

教授:「趣味は何か?」
俺:「料理(真顔で)」

と言った当時の18歳♂は変わり者と言えるだろう。

高校時代は、何かこう、あんまインパクトなかった。
気がする。
 
何かの先生に

先生:「お前、勉強してないだろ?」

とやっと言われる。
この頃は
俺:(やって出来ないと嫌だから、このままやらない)
って感じだった。
 
もっと勉強すれば有名大学に行けたらしい。
もっとも、大学(とか勉強)に興味がなかったのも事実

父が単身赴任から帰ってきていて少しうっとおしかった。

 
大学時代
入学後3ヶ月で普通免許を取得。
母親のカローラセダン(マニュアル)を乗っていた。
その後、なぜか32スカイラインクーペが購入された。
(兄と俺用)

ミスタードーナツ でバイトしてた。
大学時代で100万貯金した。 
 
3年に進学するときに、専攻が分かれるが
迷わず「化学系」に進んだ。
「発酵系」が大人気だった(当時バイオブーム?)が

俺:(酒より化学じゃね?)

と思った。
親しい友人は、ほぼ「発酵」に進んだ。

なんとか4年進級時には卒業確定していたが
3年の春に「ER」に興味を抱き、勝手に就職活動する。
就職担当の教授は、この行動がいたく気に食わなかったらしく
後日、その教授に謝りに行かされる。
 
講座(確か)講師によると

講師:「あの人を怒らせると根にもたれるから」

らしい。

この件にて就職する気が(ほぼ)なくなった。
ミスタードーナツの親会社の偉い人から
偉い人:「2年で店長にしてやる!」
と就職を打診されたが、流石に「はい、よろこんで!」とは言えなかった。  
 
夏過ぎに、講座の教授の友人が採用する人を探しているという事で
教授:「朝9時にくるように」
と命令された。
 
他の人たちは皆、大学院進学で就職したいのは1人しか居なかったから。
なぜに、皆が大学院に行きたがるか不思議でしょうがなかった・・・

で、きたオッチャン(その後の上司の人:K課長)が異常に面白かったんで。

就職決定。

当時、入退院を繰り返していた祖父に
「××に就職決まったよ」
と言うと、その会社を知っていたらしく凄い喜んでくれた。

その祖父は93年10月に死去した。
結局、甘えっぱなしで何も返せないまま祖父は天国に行ってしまった。
 
俺は酒はほとんど飲めないのだが、
祖父が死んだ日から3日間飲み屋に行っていた。

葬式の日は昼間寝てしまい、何故か誰も起こしてくれず。
参列に遅刻した。
遅刻している間に、入社前なのにK課長が来てくれて

両親:「誰??あれ????」

となっていたらしい。てか、起こしてくれない家族もなんだけれども・・・

いろいろあったが、なんとか卒業論文を書き上げて卒業。
何故か家には「PC-9801」があって論文は「一太郎」で書いた。
「PC-9801」は確か大学入学の時に買ったような気もする。
しかし使った記憶は卒業論文の時しかない。

まぁ、4年間(もっと)いろいろあったけれど
人生で一番お祭りで楽しかった時期かもしれない。

3/29/2008

自己分析 ~ 中学卒業まで

1971年(昭和46年)
山梨のとある(多分)普通に家の次男として誕生。 

親父が結構悩んで、自分の名前の一文字をとって名前をつけたとの事。


3才頃
城(大阪?姫路?)に旅行に行ったさい、
「のどが渇いた!!」
と我侭を言い、両親が居なくなってもその場で遊んでいた


~小学校
両親が共働きをしていた。
祖父と祖母と近所のおばちゃんに育てられた(と勝手に思っている)。
  
父は単身赴任で東京に行っていた。
ほぼ「写真の中の人」であった。
母は「お姉さん?」みたいに思っていた。
 
祖父は戦争で覚えたらしいタバコ(わかば)を部屋の屋根が白くなるくらい近所のおっさんと吸っていた。
子ども心にタバコは嫌いだった(←今私、吸ってます)

祖母は怒るときに蝋燭や線香を持ってくるというイメージしか残っていない。
近所に凄い面倒見のよい「おばちゃん」がいて、母みたいだった。
 
ようは、完全に「じいちゃんっ子」だったと思う。
 
じいちゃんは、自転車に乗っけてくれて近所の無人駅に良く連れて行ってくれた。
帰りに、駄菓子を買ってくれたりもした。

小さい本屋をやっていたので、「小学x年生」をくれたり、
夏休みとかには蓋の裏が懸賞になっている瓶の「コーラ」の「当たる」瓶をくれたりした。
(いまだにどうやって栓の裏の当たりが分かってたのか謎・・・)

悪い子供には容赦なく怒った 。
旅行が好きだけど、車酔い凄かった。

この頃のなりたかった職業は
 「総理大臣」
兄より偉くなりたかったのが動機。
 
母:「総理大臣になっても、お兄ちゃんはお兄ちゃんよ・・・」

俺:(兄ちゃんより上になれないんだ・・・)

と思った(と思う)。


小1(7歳)の時に入院をする(約2ヶ月)
肝臓に菌が入り「不明熱」という病名
本当に不明かどうか今となっては、よく分からない。

採血で3回連続針を刺される
手首から採血
ギプス固定で2週間ぶっ続け点滴

などで、この頃から採血等の医療行為は嫌いになる。
 
この時に病院にじいちゃんが来た記憶はない。
家で泣いていたそうだ。
嫌(痛)がる俺の顔を見たくなかったらしい。

夏休みには、だいたい電車で旅行に行った。
「ブルートレイン」や「新幹線」やとても楽しかった。
この時は父が綿密に乗り換え時間などを計画しているのを覚えている。

今でも車より電車に惹かれるのは、毎年の旅行があったからかもしれない。


中学校
この頃なりたかった職業は
「先生」
数学の先生がスゲー面白かったからだと思う。
  
努力しないでソコソコ勉強も出来てた。
何年の時か不明だが、学力テスト2位の楯まであった。
(微妙に2位って所が素敵)

全校集会で
「職員室で、先生だけがタバコを吸ってるのはオカシイ」
と発言したら、後で職員室で怒られた。
(今じゃ普通だけどね・・・)

バドミントン部に所属してたけど、なぜか陸上の練習もしていた。
中学1・2年でマラソン大会のようなもので1位になったからだと思う。

中3のとき、交通事故を起こした。
2回目の気がするが、1回目いつか思い出せない・・・

高校入試3日前に、盲腸になる。

医者:「3日もあれば大丈夫!!」

と、祖母の同級生の元軍医らしい先生に言われ手術。
 
保健室で受験して普通に合格。
3日前手術で
俺:(これで追い込みの勉強しないでOKだ)
と思ってたら、病室に教科書や参考書を(確か)兄が持ってきた。

周りにはいつも心配かけていたと思う。

3/28/2008

はじめまして

簡単な自己紹介から。


36歳
2児の父

只今、休職中。
只今、入院中。

06年10月より、「うつ病」と診断されて只今絶賛入院中です。
07年03月より、入院していますが制限が多すぎました。
只今、なんとか「普通」になりかけているので、思考が徐々に回復してきました。

これまでの自分に起こった出来事と、コレからの自分の有り方を記して行こうと思います。
(防備禄もかねて)

宜しかったら、御自愛くださいませ(かしこ)